第39話

 5月末から6月初めにかけて、弁理士業界で話題になった本があります。

 「特許実務のための進歩性のすべて」

 著者は、8人全員理系学部出身の弁理士です。監修者は、理系学部出身の弁護士です。遅ればせながら、図書館で借りて見てみました(熟読はしていない)。

 本書の第1章の1-2に「進歩性の判断に係る基本的な考え方」として、「当業者」「論理の構築(論理付け)」「技術常識」「周知技術・慣用技術」「技術水準」について特許庁の審査基準をそのままコピペしています。本書の著者及び監修者は、進歩性について論じることは審査基準をコピペすることと理解しているようです。

 また、「Column3 後知恵」として、審査基準を引用して解説していますが、これには、その根拠となる知財高裁判例(知財高裁平成20年(行ケ)第10096号同21年1月28日判決)があります。

 ところで審査基準とは、「申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準をいう。」と定義されています(行政手続法2条8号ロ)。

 この審査基準は、一般に法規性、裁判規範性はないとされています「逐条解説行政手続法〔改正行審法対応版〕」(一般財団法人行政管理研究センター編集)。

 これについて、最高裁は、「行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法三〇条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。」(最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集第32巻7号1223頁)と判示しています。

 すなわち、審査基準は裁判所に対して法的拘束力がないのは当然として、審査官・審判官に対しても法的拘束力はなく、審査官・審判官が審査基準とは異なる判断をしても、それだけでは違法とはなりません。

 審決取消し訴訟は、行政事件訴訟法の適用を受けます(特許法67条3項9号)。このため、審決取消し訴訟において審理判断の対象となるのは、審判における判断が審査基準に適合しているか否かではなく、法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたか否かです(行政事件訴訟法30条)。

 審査段階で審査基準を引用して反論することは許容されるとしても、審判では審査基準ではなく判例ないし裁判例を引用して反論すべきです。審判で拒絶審決し、審決取消し訴訟でひっくり返されると、審判官の評価に影響するからです。

 裁判所の判断である判決には、判例と裁判例があります。「判例」とは、他の事案に適用すべき法律的見解を含んでいる判決をいい、当該事案における理由を判示しただけでは判例ではありません(最高裁昭和26年(あ)第3474号同28年2月12日第一小法廷決定・刑集第7巻2号211頁)。すなわち、最高裁判決か高裁判決か地裁判決かは、判例と裁判例の区別に関係ありません。最高裁判決でも裁判例があり、地裁判決でも判例があります。ただし、上告受理申立ての理由にできるのは、最高裁判例(これがない場合は、控訴裁判所である高裁の判例)のみです(民事訴訟法318条1項)。

 なお、進歩性についての最高裁判決は、以下の1件のみです。

・最高裁平成30年(行ヒ)第69号令和元年8月27日第三小法廷判決・集民第262号51頁

 特許の進歩性について論じる場合、まず、知財判決の中から判例を抽出する必要がありますが、法律の素人が数多くの判決の中から判例を抽出するのは困難です。

 そこで法律のプロの力を借りるため、以下の論文を参照します。

「進歩性を考える」(高部眞規子)(パテント誌、2022年1月号)

 https://jpaa-patent.info/patent/viewPdf/3931

 本論文の著者は元知財高裁所長であり、最高裁調査官も務めた知財裁判の専門家です。