弁理士として独立開業し、気付いたことを綴っていきたいと思います。
テーマを決めて、一話完結形式で記していく予定です。
  • 第26話

     意匠法では、意匠登録の要件として、「工業上利用することができる意匠の創作をした者は、・・・、その意匠について意匠登録を受けることができる。」(同法3条1項柱書)と規定しています。これは、意匠登録の要件として、工業的に大量生産することができることが要求されることを意味します。

     このような意匠の保護が必要になったのは、産業革命によって工業製品が大量生産されるようになったからです。このことについて、ヨーロッパ主要4カ国(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア)について解説します。

     産業革命は18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスから起こり、大量生産によって安価な製品が溢れ、工場労働者は劣悪な労働環境で働かされていました。このような社会状況の中で生まれたのがアーツ・アンド・クラフツ運動です。しかし、これは産業革命以前の家内制手工業の時代に対する郷愁という意味しかなく、デザイン面からイギリスの工業生産に資するものではありませんでした。

     その後、19世紀後半から20世紀初めにかけて、第二次産業革命による新興工業国であるドイツ、アメリカの追い上げによって、イギリスの工業は衰退していきます。そのドイツでは、第11話で解説したように、第一次大戦後の1919年に設立された造形学校バウハウス(BAUHAUS)で機能美が生まれました。

     現代のイギリスを代表するインダストリアル・デザイナーと言えば、ジョナサン・アイブ氏とマーク・ニューソン氏(オーストラリア出身イギリス在住)でしょう。両氏のデザインの特徴は、バウハウス的な機能美を基本とし、それに審美的な形状や配色を組合せたものです。

     フランスでは、18世紀末のフランス革命による混乱でイギリスに比べ産業革命が遅れました。フランスでは、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を起源とした、曲線や装飾を用いたアール・ヌーヴォーが起こり、大量生産を否定したデザインがもてはやされました。そして、第一次大戦後、大量生産とデザインの調和を図ったアール・デコに移行していきます。アール・デコとは、装飾美術の意味です。

     フランスを代表する建築家・デザイナーのル・コルビュジエ氏(スイス出身で後にフランス国籍取得)は、1925年のパリ万国博覧会(アール・デコ博覧会)に出展された作品は装飾過多で、工業生産には不向きだと指摘しました。

     イタリアは、元々小国が分立し、イタリア全土が統一されたのは19世紀末です。このため、工業化も遅れ、北部を中心に工業が発展したのは、第二次大戦後です。今日、イタリアの人口はフランスより少ないものの、工業生産額はフランスを上回っています。

     そのイタリアは、世界的なインダストリアル・デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏を輩出し、同氏はフォルクスワーゲン社の代表的な小型車である初代ゴルフのデザインを手がけました。フォルクスワーゲン社はドイツの自動車会社であり、バウハウス的な機能的デザインを求め、同氏はその要求に応えて自動車史上の傑作と称えられる初代ゴルフをデザインしました。

     現代のインダストリアル・デザインは、バウハウス的な機能美を基本として、それに各デザイナーのバックグラウンドとなる文化的な観点から審美性を付加するデザインとなっています。ただし、それは工業生産に適したデザインであることが前提となっています。

  • 第25話

     第24話では、東レの経口そう痒症改善剤に関する用途特許(特許第3531170号、延長登録の存続期間満了2022年11月、以下「本件特許権」、)に基づく、沢井製薬、扶桑薬品に対する、本件特許権侵害行為による損害賠償請求訴訟の控訴審(知財高裁 令和3年(ネ)第10037号、令和7年5月27日判決)について取り上げました。この訴訟では、総額217億6381万余円の賠償金と遅延損害金の支払いが命じられており、これは知財訴訟における過去最高額です。その時点(7月1日)ではまだ判決文が公開されていませんでしたが、7月22日に公開されたので、その判決内容について解説します。

     侵害論についての判断では、特許請求の範囲に記載された「有効成分」の用語の解釈について、いきなり文献の記載を引用しています。同じ用語でも、文章の中で使用される場合、その文脈によって意味は変わってきます。特許法では、明細書の記載及び図面を考慮して、特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものと規定されている(同法70条)にも関わらず、いきなり一般的な文献の記載を引用して解釈するのは、法令違反です。

     損害論についての判断では、本件特許権の独占的通常実施権者である鳥居薬品について、沢井製薬、扶桑薬品に対する独自の損害賠償請求権が成立し、東レは鳥居薬品からその債権譲渡を受けたと認定しています。

     東レが製造した原告製剤は、すべて鳥居薬品を通じて販売されていました。本件特許権の存続期間中、少なくとも原告製剤(透析用途)については、鳥居薬品は原告の共同事業者として独占的通常実施権を付与される一方、特許権者である東レはその製造担当者として鳥居薬品に原告製剤を製造し、供給する関係にありました。

     独占的通常実施権者の積極的債権侵害に基づく逸失利益の損害賠償請求権と,特許権者の損害賠償請求権は,いずれも被疑侵害者の同一の特許権侵害行為によって生じる損害の賠償請求権なので,重複する範囲で,不真正連帯債権の関係にあります。(東京地裁平成27年(ワ)第22491号同29年7月27日判決)

     特許権者である東レが、被疑侵害者(沢井製薬、扶桑薬品)に本件特許権侵害に基づく損害賠償請求権を行使すると、債務者(沢井製薬、扶桑薬品)が債権者(東レ)に対して債務の弁済をしたことになり、その債権は消滅します(民法473条)。

     独占的通常実施権は、通常実施権の一形態であり、通常実施権とは「特許権者が、その特許権について他人に通常実施権を許諾する」ものです(特許法78条)。このため、特許権者がその特許権に基づき被疑侵害者に対して損害賠償請求権を行使すると、その特許権に基づく債権は消滅するので、重複する範囲で、独占的通常実施権者は権利行使することができません。

     しかし、本件知財高裁判決では、「本件においても、具体的事実関係に照らし、原告製剤の販売に関する鳥居薬品の利益が、その侵害者に対する関係で、不法行為法の観点から、法律上保護される利益であると認められるときは、鳥居薬品には、当該利益を違法に侵害されたことを理由とする固有の損害賠償請求権が認められるというべきである。」と判断しています。

     本件知財高裁判決は、特許権者(東レ)がその特許権に基づき被疑侵害者(沢井製薬、扶桑薬品)に対して損害賠償請求権を行使し、その特許権に基づく債権が消滅したにも関わらず、重複する範囲で、独占的通常実施権者の権利行使を認めたことになります。この判断は、債権法の枠組みを逸脱した違法な判断であり、法治国家における裁判とはいえません。

     このような裁判が行われると、外国企業からすれば、日本では知財訴訟の判決予測可能性が低く、そのような国で事業展開するのはリスクが大きいと判断されてしまいます。これは、「知的財産立国」を標榜する政府の方針に反します。

  • 第24話

     東レは、経口そう痒症改善剤に関する用途特許(特許第3531170号、延長登録:特願2017-700154号、特願2017-700310号、以下「本件特許権」、2022年11月存続期間満了)に基づき、沢井製薬、扶桑薬品に対し、後発医薬品に関する本件特許権侵害行為による損害賠償請求訴訟を提起しました。その控訴審(知財高裁 令和3年(ネ)第10037号、令和7年5月27日判決)において、沢井製薬、扶桑薬品による後発医薬品の製造販売行為が本件特許権の侵害にあたると認定され、沢井製薬に対して142億9093万余円、扶桑薬品に対して74億7287万余円の賠償金および遅延損害金の支払い命じる判決が言い渡されました。これは、知財訴訟における最高額です。

     今回の知財高裁の判決は、最高裁が提供する裁判例検索サイトでは、公開されていません。これだけ社会的な関心を集めているにもかかわらず、判決が裁判例検索サイトで公開されないのは異常です。これには、何らかの理由があるはずです。

     今回の知財高裁の判決に対し、沢井製薬と扶桑薬品は、最高裁に上告しました。最高裁では、政治的な観点からの審理がなされます。

     政府は増大し続ける医療費・薬剤費を削減するため、後発医薬品の使用を促進しています(https://www.mhlw.go.jp/jigyo_shiwake/dl/h30_jigyou01a_day1.pdf)。今回の知財高裁の判決は、政府の方針に反するものです。このため、医療費・薬剤費を所管する厚生労働省と政府の予算を所管する財務省から、最高裁事務総局民事局に苦情が来ているはずです。同民事局では判決内容を精査し、厚生労働省及び財務省からの苦情に対処するための対応策を検討することになります。

     本件上告を担当する最高裁判所調査官は同民事局の対応策に沿うべく、上告審の判決理由を考えることになります。なお、最高裁では、最高裁判所調査官と呼ばれるエリート裁判官が上告事件の事案を検討して判決の原案を作成し、それを最高裁裁判官が加筆修正して、判決とします。

     本件は、第一審(東京地裁 平成30年(ワ)第38504号、第38508号、令和3年3月30日判決)では、沢井製薬に対する請求額が6億2210万円の一部請求として1000万円、扶桑薬品に対する請求額が3億2105万円の一部請求として1000万円でしたが、控訴審では、訴えの拡張的変更が認められています。

     第一審では、文言侵害は認められず、均等侵害も意識的除外(第5要件)を理由に認められませんでした。第一審の裁判長は、田中孝一裁判官です。マキサカルシトール事件最高裁判決では、最高裁裁判所調査官として均等の第5要件の判断手法を判示し、その後、東京地裁の知的財産権部の裁判長になりました。典型的な知財系裁判官で、医薬品特許に均等論を適用するか否かを判断する専門家です。

     これに対し、控訴審の裁判長は、清水響裁判官で、労働関係訴訟が専門です。近年、知財高裁の裁判長は、知財系が専門ではない裁判官が就任しています。裁判官の人事権を有する最高裁事務総局は、いわゆる知財系裁判官について、純粋培養はしない方針です。民事訴訟で重要なのは、理由付けではなく結論です。知財系裁判官を純粋培養すると、結論よりも理由付けに拘るようになります。

     知財訴訟は経済事件であり、社会に与える影響が大きいです。このため、知財訴訟では、理由付けよりも社会に与える影響を重視した判断をする必要があります。

     今回の事件の控訴人(原告)である東レの医薬事業は、後発医薬品の浸透と薬価改定の影響を受けて赤字です。今回の事件で東レが敗訴すれば、今後、後発医薬品がますます浸透し、東レは医薬事業から撤退あるいは他社への売却を検討せざるを得なくなります。

     特許法は、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」と規定しています(同法1条)。東レを敗訴させることは、特許法の法目的に反し、医薬品の開発意欲を減退させることになります。

     しかし、沢井製薬と扶桑薬品を敗訴させることは、後発医薬品の使用を促進して、医療費・薬剤費を削減する政府の方針に反することになります。

     一般に、民事訴訟では、和解による解決を試みます。和解とは、「当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約すること」です(民法695条)。損害賠償請求では、被告が原告に解決金を支払って和解するのが一般的です。今回の知財高裁の事件でも、控訴人(原告)側及び被控訴人(被告)側双方の事情を考慮して、和解勧試が行われていたはずです。しかし、沢井製薬、扶桑薬品からすれば、第一審で勝訴しているにもかかわらず、解決金を支払って和解するのは納得がいかず、拒否した可能性があります。

     そこで、和解させるための方策として、譲歩する側を転換し、東レ側を譲歩させて和解に応じさせることです。そのためには、一旦、東レ側を勝訴させる必要があります。

     そこで、知財高裁が考えたのが、沢井製薬、扶桑薬品に高額の賠償金の支払いを命じて敗訴させ、嫌でも上告せざるを得ない状況にします。このため、今回の知財高裁の判決は、最高裁で破棄されることを前提としているので、かなりお粗末な理由付けとなっている可能性があります。

     上告審では、まず口頭弁論を開き(民訴法319条反対解釈)、最高裁は原判決を破棄して知財高裁に差し戻す判決をします(同法325条)。

     差戻し審では、知財高裁は再び和解勧試を行いますが、今度は東レが譲歩する側です。考えられる和解案としては、沢井製薬・扶桑薬品が東レに対し第一審で請求された額相当の解決金を支払うことです。東レは第一審の請求額相当の解決金を得ることができれば当初の目的を達成でき、沢井製薬・扶桑薬品は賠償額を差戻し前の23分の1にすることができます。裁判所は判決を出さずに済み、情報が公開されることを避けることができます。三方良しの和解案です。和解案を提示する際、東レがこの和解案に応じない場合は、請求を棄却するという伝家の宝刀をちらつかせます。裁判所の常套手段です。

     以上が、今回の知財高裁の判決の意義と、今後予想される展開です。今回の判決の清水響裁判長がそこまで先読みして判決したのであれば、かなりの策士です。