第24話
東レは、経口そう痒症改善剤に関する用途特許(特許第3531170号、延長登録:特願2017-700154号、特願2017-700310号、以下「本件特許権」、2022年11月存続期間満了)に基づき、沢井製薬、扶桑薬品に対し、後発医薬品に関する本件特許権侵害行為による損害賠償請求訴訟を提起しました。その控訴審(知財高裁 令和3年(ネ)第10037号、令和7年5月27日判決)において、沢井製薬、扶桑薬品による後発医薬品の製造販売行為が本件特許権の侵害にあたると認定され、沢井製薬に対して142億9093万余円、扶桑薬品に対して74億7287万余円の賠償金および遅延損害金の支払い命じる判決が言い渡されました。これは、知財訴訟における最高額です。
今回の知財高裁の判決は、最高裁が提供する裁判例検索サイトでは、公開されていません。これだけ社会的な関心を集めているにもかかわらず、判決が裁判例検索サイトで公開されないのは異常です。これには、何らかの理由があるはずです。
今回の知財高裁の判決に対し、沢井製薬と扶桑薬品は、最高裁に上告しました。最高裁では、政治的な観点からの審理がなされます。
政府は増大し続ける医療費・薬剤費を削減するため、後発医薬品の使用を促進しています(https://www.mhlw.go.jp/jigyo_shiwake/dl/h30_jigyou01a_day1.pdf)。今回の知財高裁の判決は、政府の方針に反するものです。このため、医療費・薬剤費を所管する厚生労働省と政府の予算を所管する財務省から、最高裁事務総局民事局に苦情が来ているはずです。同民事局では判決内容を精査し、厚生労働省及び財務省からの苦情に対処するための対応策を検討することになります。
本件上告を担当する最高裁判所調査官は同民事局の対応策に沿うべく、上告審の判決理由を考えることになります。なお、最高裁では、最高裁判所調査官と呼ばれるエリート裁判官が上告事件の事案を検討して判決の原案を作成し、それを最高裁裁判官が加筆修正して、判決とします。
本件は、第一審(東京地裁 平成30年(ワ)第38504号、第38508号、令和3年3月30日判決)では、沢井製薬に対する請求額が6億2210万円の一部請求として1000万円、扶桑薬品に対する請求額が3億2105万円の一部請求として1000万円でしたが、控訴審では、訴えの拡張的変更が認められています。
第一審では、文言侵害は認められず、均等侵害も意識的除外(第5要件)を理由に認められませんでした。第一審の裁判長は、田中孝一裁判官です。マキサカルシトール事件最高裁判決では、最高裁裁判所調査官として均等の第5要件の判断手法を判示し、その後、東京地裁の知的財産権部の裁判長になりました。典型的な知財系裁判官で、医薬品特許に均等論を適用するか否かを判断する専門家です。
これに対し、控訴審の裁判長は、清水響裁判官で、労働関係訴訟が専門です。近年、知財高裁の裁判長は、知財系が専門ではない裁判官が就任しています。裁判官の人事権を有する最高裁事務総局は、いわゆる知財系裁判官について、純粋培養はしない方針です。民事訴訟で重要なのは、理由付けではなく結論です。知財系裁判官を純粋培養すると、結論よりも理由付けに拘るようになります。
知財訴訟は経済事件であり、社会に与える影響が大きいです。このため、知財訴訟では、理由付けよりも社会に与える影響を重視した判断をする必要があります。
今回の事件の控訴人(原告)である東レの医薬事業は、後発医薬品の浸透と薬価改定の影響を受けて赤字です。今回の事件で東レが敗訴すれば、今後、後発医薬品がますます浸透し、東レは医薬事業から撤退あるいは他社への売却を検討せざるを得なくなります。
特許法は、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」と規定しています(同法1条)。東レを敗訴させることは、特許法の法目的に反し、医薬品の開発意欲を減退させることになります。
しかし、沢井製薬と扶桑薬品を敗訴させることは、後発医薬品の使用を促進して、医療費・薬剤費を削減する政府の方針に反することになります。
一般に、民事訴訟では、和解による解決を試みます。和解とは、「当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約すること」です(民法695条)。損害賠償請求では、被告が原告に解決金を支払って和解するのが一般的です。今回の知財高裁の事件でも、控訴人(原告)側及び被控訴人(被告)側双方の事情を考慮して、和解勧試が行われていたはずです。しかし、沢井製薬、扶桑薬品からすれば、第一審で勝訴しているにもかかわらず、解決金を支払って和解するのは納得がいかず、拒否した可能性があります。
そこで、和解させるための方策として、譲歩する側を転換し、東レ側を譲歩させて和解に応じさせることです。そのためには、一旦、東レ側を勝訴させる必要があります。
そこで、知財高裁が考えたのが、沢井製薬、扶桑薬品に高額の賠償金の支払いを命じて敗訴させ、嫌でも上告せざるを得ない状況にします。このため、今回の知財高裁の判決は、最高裁で破棄されることを前提としているので、かなりお粗末な理由付けとなっている可能性があります。
上告審では、まず口頭弁論を開き(民訴法319条反対解釈)、最高裁は原判決を破棄して知財高裁に差し戻す判決をします(同法325条)。
差戻し審では、知財高裁は再び和解勧試を行いますが、今度は東レが譲歩する側です。考えられる和解案としては、沢井製薬・扶桑薬品が東レに対し第一審で請求された額相当の解決金を支払うことです。東レは第一審の請求額相当の解決金を得ることができれば当初の目的を達成でき、沢井製薬・扶桑薬品は賠償額を差戻し前の23分の1にすることができます。裁判所は判決を出さずに済み、情報が公開されることを避けることができます。三方良しの和解案です。和解案を提示する際、東レがこの和解案に応じない場合は、請求を棄却するという伝家の宝刀をちらつかせます。裁判所の常套手段です。
以上が、今回の知財高裁の判決の意義と、今後予想される展開です。今回の判決の清水響裁判長がそこまで先読みして判決したのであれば、かなりの策士です。